要約
質問は、余命が10年で1億円持っている場合、どのようなことをすると人生を充実させることができるかというものでした。
回答1では、癌に罹患したビジネスパートナーが宣告を受けた後、贅沢な旅行や新しい経験をして余命を全うしたエピソードが語られています。
回答2では、地味な生活を送りながら少し贅沢を楽しむことを提案しており、お金があることで心に余裕ができると述べられています。
回答3では、余命10年で資産持ちの年配者たちの生活が紹介され、健康を大切にしつつ平凡な日常を過ごすことに満足している様子が描かれています。
回答4では、健康寿命を大切にし、毎日を平和に感謝しつつ、適度な睡眠や食事、運動を心掛けることの重要性が語られています。
以下はQuora(クオーラ)というQ&Aサイトの問答の要約と問答のリストです。個人の回答であり、確定情報ではないことをご理解してご覧ください。
余命10年で、使えるお金が1億円あったらどうのようなことをすることが人生の充実度をあげることが出来そうでしょうか?
回答1
わたしのビジネスパートナーが癌に罹患し、医師から余命 5年と宣告されました。
治療のこともあるので会社を閉めて、それぞれの株価に応じて会社の資産を分配しました。
一億以上は手元に残ったのではと思います。
彼はその時、53歳でした。事情は良くは分かりませんが彼は奥様に慰謝料としてその半額をわたし離婚しました。そして、30代の女性と同棲していたようです。
フェラーリに乗りたいと言っていましたが、アウディをポルシェに乗り換えたようです。また、一度は彼女とヨーロッパに旅行し、その後、子どもたちを連れて再度ヨーロッパを訪ねたようでした。
その旅から帰って半年も経たないうちに余命宣告の期限も待たず55歳で亡くなりました。
余命がわかっていたからこそできたことなのかもしれません。
一度会った時には、やりたいことをするんだと、ライザップで筋トレしてること、全身脱毛をしたことなどを聞き、驚いたのを覚えてます。
若い彼女との入籍 はしなかったようで葬儀などは20歳になったばかりの長男が喪主として取り行ったようでした。
自分なら、と考えると訪ねたい場所も会いたい人もいるので体力があるなら旅したりするかもです。
あとは片付けに子どもを煩わせないよう 断捨離と遺言状の作成でしょうか?
回答2
過度な贅沢は一切せずに地味な生活を続けます。
ちょっとした贅沢はします。贅沢とは買わなくても死なないのに使う出費、です。ラウンドアップマックスロード(高い除草剤)を買ってボウボウの草を取り、 鉢底石や鹿沼土などを買って花や木を植えて狭い庭を整えます。ネギや紫蘇や茄子やトマトや芋やゴーヤくらいは家庭菜園したいです。殺したり育てたり、人間って勝手なものです。
撓んでいて抜けそうな床もリフォームします。美容院に行ったり新しいメガネを買ったり歯科治療はしたいです。
あ!松田聖子のディナーショーに一度は行きたいので行ってきます!
車や旅行やブランド品に使わないだけでそれなりに遣っちゃいますが余命2年くらいになっても9千万くらい残っていそうです。
お金があるほうが心に余裕ができてよいですよね。ないとどうしてもお金お金お金の魅力に、、、ねえ。
人生最後の10年は無理に使おうとは思わないです。
それに、、ばあさんになった私でしょ。クソ貧乏ばばあだと誰もかまってくれない気がします。ただの貧乏ならまだよいのです。そこそこ五体満足だとしてもその頃は明らかな老婆です、半ボケでセルフレジも使えず、耳も遠く目も悪く体力もなく忘れっぽくなってる貧乏ババアにわざわざ誰も関わりたくないでしょう。
そこそこ裕福ばあさんなら義妹や甥や姪もお年玉狙いや遺産目当てで寄ってきてくれるのではないかなあと思ってます。 面倒は見てくれなくて構わな
過度な贅沢は一切せずに地味な生活を続けます。
ちょっとした贅沢はします。贅沢とは買わなくても死なないのに使う出費、です。ラウンドアップマックスロード(高い除草剤)を買ってボウボウの草を取り、 鉢底石や鹿沼土などを買って花や木を植えて狭い庭を整えます。ネギや紫蘇や茄子やトマトや芋やゴーヤくらいは家庭菜園したいです。殺したり育てたり、人間って勝手なものです。
撓んでいて抜けそうな床もリフォームします。美容院に行ったり新しいメガネを買ったり歯科治療はしたいです。
あ!松田聖子のディナーショーに一度は行きたいので行ってきます!
車や旅行やブランド品に使わないだけでそれなりに遣っちゃいますが余命2年くらいになっても9千万くらい残っていそうです。
お金があるほうが心に余裕ができてよいですよね。ないとどうしてもお金お金お金の魅力に、、、ねえ。
人生最後の10年は無理に使おうとは思わないです。
それに、、ばあさんになった私でしょ。クソ貧乏ばばあだと誰もかまってくれない気がします。ただの貧乏ならまだよいのです。そこそこ五体満足だとしてもその頃は明らかな老婆です、半ボケでセルフレジも使えず、耳も遠く目も悪く体力もなく忘れっぽくなってる貧乏ババアにわざわざ誰も関わりたくないでしょう。
そこそこ裕福ばあさんなら義妹や甥や姪もお年玉狙いや遺産目当てで寄ってきてくれるのではないかなあと思ってます。 面倒は見てくれなくて構わないし私の遺体の始末は他の人や行政に頼むからいいけどさ。葬式不要戒名不要。
面倒だから奴より長生きすればいっか。
回答3
僕も含め、そのくらいのお金は持っている年配者(70歳過ぎ)を何人か知っています。それと、こういう人達(僕も含め)は70を過ぎてるので、多分余命(健康年齢)(活動年齢)が10年ほどって思います。
この人達は特に生活を広げたり、派手に旅行とか、贅沢三昧するというようなことはしていません。ごくごく普通の生活しているので、周りの人はその人達が金持ってるって気づかないです。ただそういった人達はなるべく「健康年齢」を長引かせようって、食べる物に気を付けたり、ジムへ行ったり、トレナーを雇って筋肉強化などいろいろ健康維持に日夜努力しているように思えます。それと僕などは「平凡な日常生活」に感謝しています。ですから、贅沢などしなくても満足しているんです。
僕自身は資産があっても、多分、その資産を使わずに亡くなるであろうって思ってます。
無理して使うことないって思ってますね。それで残ったお金をどうするかですが、どの慈善団体に残すかを考えてるし、いくつかの団体がすでに頭にあります。
ですから、まったく回答になってないかもしれませんが、お金があるからと特に生活を変えることもなく、健康年齢を伸ばせるよう気を使い、毎日平和で平凡な日常生活が送れることに感謝しています。それから、衰える前に寄付する団体を書き置くなどするということでしょうか?
もっと「世界一周する」とか「高級車買う」とかの回答を期待しているのでしょうが、小金
僕も含め、そのくらいのお金は持っている年配者(70歳過ぎ)を何人か知っています。それと、こういう人達(僕も含め)は70を過ぎてるので、多分余命(健康年齢)(活動年齢)が10年ほどって思います。
この人達は特に生活を広げたり、派手に旅行とか、贅沢三昧するというようなことはしていません。ごくごく普通の生活しているので、周りの人はその人達が金持ってるって気づかないです。ただそういった人達はなるべく「健康年齢」を長引かせようって、食べる物に気を付けたり、ジムへ行ったり、トレナーを雇って筋肉強化などいろいろ健康維持に日夜努力しているように思えます。それと僕などは「平凡な日常生活」に感謝しています。ですから、贅沢などしなくても満足しているんです。
僕自身は資産があっても、多分、その資産を使わずに亡くなるであろうって思ってます。
無理して使うことないって思ってますね。それで残ったお金をどうするかですが、どの慈善団体に残すかを考えてるし、いくつかの団体がすでに頭にあります。
ですから、まったく回答になってないかもしれませんが、お金があるからと特に生活を変えることもなく、健康年齢を伸ばせるよう気を使い、毎日平和で平凡な日常生活が送れることに感謝しています。それから、衰える前に寄付する団体を書き置くなどするということでしょうか?
もっと「世界一周する」とか「高級車買う」とかの回答を期待しているのでしょうが、小金持ちは「地味」で「物欲」もないのだって思います。つまらない回答で失礼しました。(ここでおじぎをする)
回答4
介護業界で働いていたものとして回答致します。
まず、健康寿命とはご自身である程度なんでも出来て、介護サービスなどを必要としない状態を指します。
つまり、現代は医療や介護サービスの充実により、身体の寿命を迎えるまでの間に自分で出来ない事があっても、誰かの手助けを借りながら生きられる期間ができたということです。
質問文では「健康寿命が過ぎて(手助けが必要な状態になってしまって)」、その後の10年をどう生きたらいいかという前提でのお話ですが…。
そもそも「健康寿命=寿命」にしようというご希望は全くないでしょうか?
もちろん、これは言葉の綾のようなもので、本当に寿命に近づけば近づくほど手助けは必ず必要になるでしょう。でも、それが「10年」かどうかは質問者様の過ごし方次第なのです。
今からでも遅くないと思いますよ。
もしこの考えに賛同して頂けるのでしたら、良く寝て・少し食べて・よく動く(歩く)です。
何かのスローガンみたいですが(笑)。結構シンプルなことがこの世の真理だったりします。
私が介護の仕事に従事していた時、60代・片麻痺・車椅子が常時必要なお客様の横を、100歳のお客様が片手杖で矍鑠と歩いておられました。特に当時の大正生まれの方は本当にお元気でいらっしゃいました。
大正生まれの方の子供時代は日本がかなり貧しく、「粗食」でした。また、戦争による疎開も経験されており、実家が農家か否かに関わらず畑仕事を手伝
介護業界で働いていたものとして回答致します。
まず、健康寿命とはご自身である程度なんでも出来て、介護サービスなどを必要としない状態を指します。
つまり、現代は医療や介護サービスの充実により、身体の寿命を迎えるまでの間に自分で出来ない事があっても、誰かの手助けを借りながら生きられる期間ができたということです。
質問文では「健康寿命が過ぎて(手助けが必要な状態になってしまって)」、その後の10年をどう生きたらいいかという前提でのお話ですが…。
そもそも「健康寿命=寿命」にしようというご希望は全くないでしょうか?
もちろん、これは言葉の綾のようなもので、本当に寿命に近づけば近づくほど手助けは必ず必要になるでしょう。でも、それが「10年」かどうかは質問者様の過ごし方次第なのです。
今からでも遅くないと思いますよ。
もしこの考えに賛同して頂けるのでしたら、良く寝て・少し食べて・よく動く(歩く)です。
何かのスローガンみたいですが(笑)。結構シンプルなことがこの世の真理だったりします。
私が介護の仕事に従事していた時、60代・片麻痺・車椅子が常時必要なお客様の横を、100歳のお客様が片手杖で矍鑠と歩いておられました。特に当時の大正生まれの方は本当にお元気でいらっしゃいました。
大正生まれの方の子供時代は日本がかなり貧しく、「粗食」でした。また、戦争による疎開も経験されており、実家が農家か否かに関わらず畑仕事を手伝っていた期間があります。畑仕事って本当に下半身を鍛えられます。
また、テレビのような娯楽も後から出てくるため、余興がほとんどないか、自分で作りだすかという感じでしたし、自転車のような移動手段の普及もだいぶ後になってからなので、とにかくどこに行くにも歩きでした。
つまり、本人の希望如何に関わらず「良く寝て・少し食べて・よく動く(歩く)」を実践されています。
このような方が高齢者になりますと、まぁよく歩きますし、足が速いですし、足腰が丈夫です。現代にあってあえて昔の不便な生活をすればいいと私は思いませんが、ウォーキングはされておくことをお勧めします。
自分で歩けると好きなお店に通い続けることが出来ます。
自分で歩けるとその日の気分に合わせて食べたいものを選べます。
自分で歩けるとなじみの美容院に通うことが出来ます。
自分で歩けると四季折々の草花を楽しむことが出来ます。
自分で歩けるとお腹が空きやすくなります。
自分で歩けると疲れてよく眠れます。
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自分で歩けないと人にお店に買い物に行ってもらわなければなりません。
自分で歩けないと誰かが買ってきたものしか食べられません。
自分で歩けないと出張してくれる美容師にお願いすることになり、担当が毎回代わります。
自分で歩けないと外の景色を楽しむことが難しくなります。
自分で歩けないとお腹が常に張っていて食欲がわきづらくなります。
自分で歩けないとベッドに横になってもなかなか眠れません。
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質問者様はどちらがよろしいですか?
何かの参考になれば幸いです。
以上がQuoraでの問答の内容です。これらは個人の意見であり、必ずしも事実ではないことにご注意ください。
元の質問、回答についてはこちらをご覧ください:https://qr.ae/p2sJeS
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