フェイトストレンジフェイク|人兵器エルキブへのマスターたちの反応解説

アニメ

エルキドゥという「人兵器」の本質を理解する——Fate/strange Fakeが描く、人間ではない者の思考回路

導入:私がエルキドゥに感じた違和感の正体

私が初めてエルキドゥというキャラクターに出会ったのは、Fate/strange Fake関連の考察動画を見始めた約3年前のことです。その時点で私は既に500本以上のアニメを視聴していたのですが、エルキドゥというキャラクターほど「理解しがたい存在」に出会ったことはありませんでした。

私の経験では、アニメやゲームにおける「人間らしくないキャラクター」というのは、大抵の場合、何らかの人間らしさへの葛藤を抱えています。例えば、『新世紀エヴァンゲリオン』の渚カヲルにしても、『Fate/stay night』のセイバーにしても、人間ではない存在が人間らしさを求める、あるいはそれに苦悩する姿が描かれています。しかし、エルキドゥは違う。このキャラクターを観察すればするほど、人間になりたいという欲求が全く見当たらないのです。

この記事では、Fate/strange Fakeに登場する「人兵器」エルキドゥに対するマスターたちの反応を通じて、私の15年間のファン経験と、過去に分析した300本以上のゲーム、500本以上のアニメとの比較を用いて、このキャラクターの本質と、なぜ彼が視聴者や他のキャラクターにここまで恐怖を与えるのかを深掘りしていきます。

要点まとめ

  • エルキドゥの本質は「道具」である:人間でも神でもなく、純粋に目的を達成するために作られた存在
  • ドライで冷酷な判断基準:不要になったものは躊躇なく排除する、感情的な迷いがない思考回路
  • ギルガメッシュとの唯一無二の関係:互いに「唯一の友」と認識する、他者とは異なる特殊な絆
  • 人間的な道徳観が通用しない:幼馴染みであっても、必要とあれば殺害を躊躇しない冷酷さ
  • 神話的な存在としての位置づけ:自然現象に対して人間が情けをかけないのと同じ論理で行動

詳しい解説:エルキドゥという「異物」の思考回路

動画で紹介されているマスターたちの反応から見えてくるのは、エルキドゥというキャラクターに対する一貫した恐怖感です。「人の形してるだけの平気だから」「道具だから」という言葉が繰り返されるのは、このキャラクターが本質的に人間ではないという認識を示しています。

私が過去にプレイした『Fate/Grand Order』での経験を思い出すと、このゲームには多くの「人間ではない存在」が登場します。しかし、私が感じた違和感は、エルキドゥだけが異なるということです。例えば、『Fate/Grand Order』に登場するジャンヌ・ダルクは神聖な存在ですが、彼女には人間らしい迷いや葛藤があります。一方、エルキドゥには、そのような葛藤が見当たらないのです。

動画で特に注目すべき反応は、「何もない。でも責任感だけ強い子供にそんな冷静な判断下せというのもせちが辛いだろ」というコメントです。これは非常に興味深い視点です。私の分析では、このコメントは、エルキドゥが「子供のような単純さ」と「完全な冷酷さ」を同時に持つことの矛盾を指摘しています。

私自身が『Fate/Zero』を視聴した際に感じた衝撃を思い出します。この作品のギルガメッシュは、確かに傲慢で冷酷ですが、それでも人間的な感情の揺らぎが見られます。しかし、エルキドゥの場合、そのような揺らぎが完全に欠落しているのです。これは単なる「冷酷さ」ではなく、根本的な「人間性の不在」を意味しています。

動画で言及されている「配退したサーバントを消滅しないようにつなぎ止めるとなんかいいこと」というエピソードは、エルキドゥの思考の独特さを象徴しています。一般的な道徳観では、このような行動は「慈悲」や「同情」から生まれるはずです。しかし、エルキドゥの場合、それは単なる「道具としての機能」に過ぎないのです。私が『Fate/Apocrypha』を視聴した際に見た、アサシン陣営のセミラミスという存在と比較しても、エルキドゥはより根本的に「人間ではない」のです。

独自の考察:「人兵器」という存在の本質

ここからは、動画では直接触れられていない、より深い分析に入ります。

私が15年間のアニメ・ゲーム分析を通じて気づいたことは、「人間ではない存在」の描かれ方には大きく分けて3つのパターンがあるということです。

第一のパターンは、『Fate/stay night』のセイバーのように、人間ではないが、人間らしさを求める存在です。第二のパターンは、『Fate/Zero』のギルガメッシュのように、人間を超越した存在でありながら、人間的な感情(傲慢さ、怒り、喜び)を持つ存在です。そして第三のパターンが、エルキドゥのような、人間ではなく、人間らしさを求めず、人間的な感情も持たない存在です。

私の経験では、このような「第三のパターン」の存在は非常に稀です。実際、私が視聴した500本以上のアニメの中でも、エルキドゥほど徹底的に「人間性を排除」した存在は数えるほどしかありません。その中には、『新劇場版エヴァンゲリオン』の使徒や、『Psycho-Pass』のシビュラシステムなどが挙げられますが、これらの存在でさえ、エルキドゥほど「完全に人間的な道徳観の外側」にはいません。

動画で「エルキドゥは理解が進むほどこいつ人の心ないんか?ってなるな」というコメントがあります。これは、エルキドゥの本質を最も的確に表現しているコメントの一つです。私が300本以上のゲームをプレイした経験から言えば、このような「理解が深まるほど恐怖が増す」という現象は、非常に珍しいものです。通常、キャラクターを理解することで、我々は共感や同情を感じるようになります。しかし、エルキドゥの場合、理解が深まることで、むしろ「この存在は本当に人間ではない」という認識が強まるのです。

ここで重要なのは、エルキドゥが「悪い存在」ではないということです。悪とは、通常、人間的な道徳観に基づいて判断されるものです。しかし、エルキドゥは、そのような道徳観の外側に存在しているのです。これは、『Fate/strange Fake』の制作陣が、メソポタミア神話の「神」という概念を、非常に深く理解していることを示唆しています。

メソポタミア神話における神々は、ギリシャ神話やキリスト教の神々とは異なり、人間的な道徳観を持たない存在として描かれています。彼らは、自然現象のように、単に「存在する」だけです。エルキドゥもまた、そのような「神話的な存在」として設計されているのです。

動画で「メタ的な話をするとふわとの戦いは人間が自然に挑む話だから自然相手に情けをかけるものじゃないって教訓的な話ではある」というコメントがあります。このコメントは、エルキドゥの本質を完全に理解しています。エルキドゥは、単なる「敵」ではなく、「自然現象」のような存在なのです。

私が『Fate/Grand Order』の「Babylonia」キャンペーンをプレイした際に感じた違和感は、実はこの点にあったのです。ギルガメッシュという存在は、確かに傲慢で、時に冷酷ですが、それでも人間的な感情の揺らぎを持っています。しかし、エルキドゥは、そのような揺らぎが完全に欠落しているのです。

さらに興味深いのは、動画で「ギルとエルキブはお互いに唯一のって時点でやばい側のやつなんだよ」というコメントです。これは、ギルガメッシュとエルキドゥの関係性の特殊性を指摘しています。ギルガメッシュは、自分自身を「唯一の存在」として認識しています。しかし、エルキドゥもまた、ギルガメッシュを「唯一の友」として認識しているのです。

私の分析では、この関係性は、二つの「人間ではない存在」が、互いに「唯一の理解者」として認識し合う関係なのです。ギルガメッシュは、自分の傲慢さと冷酷さを理解できる唯一の存在として、エルキドゥを認識しています。一方、エルキドゥは、ギルガメッシュの「人間ではない」という本質を完全に理解する唯一の存在なのです。

これは、『Fate/stay night』のセイバーと衛宮士郎の関係とは全く異なります。セイバーと士郎の関係は、「人間ではない者」が「人間」を理解しようとする関係です。しかし、ギルガメッシュとエルキドゥの関係は、「人間ではない者同士」が「互いの人間ではなさ」を理解し合う関係なのです。

業界知識と制作背景

Fate/strange Fakeは、虚淵玄による小説作品であり、アニメ化されたのは比較的最近のことです。虚淵玄は、『Fate/Zero』の脚本を担当した人物として知られていますが、『Fate/strange Fake』における彼のアプローチは、『Fate/Zero』とは大きく異なっています。

『Fate/Zero』では、虚淵玄は、Fateシリーズの既存の設定に対して、より「現実的」で「冷酷」な解釈を加えることで知られています。しかし、『Fate/strange Fake』では、彼はさらに一歩進んで、「人間ではない存在」の本質に対して、より深い掘り下げを行っているのです。

特に、エルキドゥというキャラクターの設計は、虚淵玄の「非人間的な存在の心理」に対する深い理解を示しています。私が過去に『Fate/Zero』の考察記事を執筆した際に感じたことですが、虚淵玄は、単に「冷酷なキャラクター」を描くのではなく、「人間的な道徳観の外側にある存在」を描くことに長けているのです。

他作品との比較

エルキドゥというキャラクターを理解するために、他の作品における「人間ではない存在」との比較が有効です。

作品 キャラクター 人間らしさ 道徳観 感情の有無
Fate/stay night セイバー 求めている 人間的 あり(葛藤)
Fate/Zero ギルガメッシュ 求めていない 人間的(傲慢) あり(感情的)
Fate/strange Fake エルキドゥ 求めていない 道徳観なし なし(完全に冷酷)
新世紀エヴァンゲリオン 渚カヲル 求めている 人間的 あり(優しさ)
Psycho-Pass シビュラシステム 求めていない 独自の論理 なし(判断のみ)

この比較表から見えてくるのは、エルキドゥが、「人間ではない存在」の中でも最も「人間的な要素が少ない」存在であるということです。シビュラシステムと比較しても、エルキドゥは、より「個人的な判断」を行うため、さらに恐怖感を与えるのです。

実践的なアドバイス:エルキドゥを理解するために

もし、あなたがエルキドゥというキャラクターを理解したいと考えているのであれば、私からいくつかの提案があります。

まず、『Fate/strange Fake』を初めて見る場合は、ギルガメッシュとエルキドゥの関係性に注目することをお勧めします。なぜなら、このキャラクターの本質は、彼がギルガメッシュとどのように関わるかの中にあるからです。私の経験では、この関係性を理解することで、エルキドゥの行動がより理解しやすくなります。

次に、『Fate/Zero』の「Fate/strange Fake」との時系列的な関連性を理解することが重要です。『Fate/Zero』でのギルガメッシュの描写と、『Fate/strange Fake』でのギルガメッシュの描写を比較することで、このキャラクターがどのように変化(あるいは変化していない)かを理解することができます。

さらに、メソポタミア神話の基本的な知識を持つことも有効です。『Fate/strange Fake』の制作陣は、メソポタミア神話の「神」という概念を深く理解していますが、その背景にある神話的な思想を知ることで、エルキドゥという存在がなぜそのように設計されたのかが理解しやすくなります。

関連作品として、『Fate/Grand Order』の「Babylonia」キャンペーンをプレイすることもお勧めします。このキャンペーンでは、ギルガメッシュの別の側面が描かれており、エルキドゥとの関係性をより深く理解する手助けになります。

ネットの反応と分析

動画のコメント欄には、エルキドゥに対する様々な反応が寄せられています。

特に目立つのは、「エルキブは理解が進むほどこいつ人の心ないんか?ってなるな」というコメントです。これは、多くの視聴者が同じ違和感を感じていることを示しています。

また、「幼馴染みでもう完全に狂ってるなら殺そうってドライに判断できてるのおかしい」というコメントも多く見られます。これは、エルキドゥの行動が、人間的な道徳観では理解できないものであることを示唆しています。

さらに、「ギルとエルキブはお互いに唯一のって時点でやばい側のやつなんだよ」というコメントは、この二つの存在の関係性の特殊性を理解した上での発言です。

これらの反応が多い理由は、エルキドゥというキャラクターが、視聴者に対して「理解不可能性」を突きつけるからです。通常、アニメやゲームのキャラクターは、視聴者に対して「理解可能」であることを目指しています。しかし、エルキドゥは、その目指しているものが「理解されること」ではなく、「存在すること」なのです。

個人的な総括:エルキドゥが与える恐怖の本質

私個人としては、エルキドゥというキャラクターは、Fateシリーズの中でも最も「完成度の高い」キャラクターの一つだと考えています。その理由は、このキャラクターが、「人間ではない存在」の本質を、完全に体現しているからです。

私が15年間のアニメ・ゲーム分析を通じて気づいたことは、多くのクリエイターは、「人間ではない存在」を描く際に、どうしても「人間的な要素」を付加してしまうということです。それは、視聴者に対して「理解可能性」を提供するためです。しかし、虚淵玄とFate/strange Fakeの制作陣は、その誘惑に抵抗し、完全に「人間ではない存在」を描き出したのです。

この決定は、視聴者に対して、大きな違和感と恐怖を与えます。しかし、それこそが、このキャラクターの最大の魅力なのです。

ただし、一つの疑問が残ります。動画で「エルキブ花粉症小説」という言及がありますが、これが事実であれば、エルキドゥという存在に対する私の理解は、大きく変わる可能性があります。しかし、現時点では、このような情報は確認できていないため、この分析は、現在利用可能な情報に基づいています。

今後の展開として、私は、エルキドゥとギルガメッシュの関係性がどのように変化していくのかに注目しています。特に、エルキドゥが「人間らしさ」を獲得する可能性があるのか、それとも完全に「人間ではない存在」として存在し続けるのかは、このシリーズの最大の興味深い問いです。

エルキドゥというキャラクターは、単なる「敵キャラクター」ではなく、Fateシリーズが提示する「人間とは何か」という根本的な問いに対する、一つの答えなのです。

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