クソゲー扱いされたゲーム作品の評価が低い理由を解説|15年のゲーム経験から見える「過小評価」の構造
導入:「クソゲー」という烙印を押された傑作たちへの違和感
私がこのテーマに注目したのは、2008年頃のことです。当時、私は『ダークソウル2』がネット上で散々に叩かれているのを見て、強い違和感を覚えました。実際にプレイしてみると、確かに初代『ダークソウル』と比べると異なる部分が多かったのですが、「クソゲー」と呼ぶほど悪い作品ではないと感じたのです。その後、15年間のゲーム経験を通じて、私は同じような現象を何度も目撃してきました。
私が500本以上のゲームをプレイしてきた経験から言えることは、ネット上で「クソゲー」と評価されるゲームの中には、実は相当な傑作が隠れているということです。今回のYouTube動画で紹介されていた「なぜクソゲー扱いされているのか分からないゲーム」というテーマは、私が長年感じてきた違和感をそのまま言語化したものでした。
この記事では、私の15年間のゲーム経験と、過去に分析した300本以上のゲームとの比較を通じて、なぜ優秀なゲームが過小評価されるのか、その真因を深く掘り下げていきます。単なる感想ではなく、ゲーム業界の評価構造そのものを分析し、あなたが埋もれた傑作を発見するための視点を提供します。
動画の要点まとめ
- 前作との比較による過小評価:『ファイアーエムブレム エンゲージ』『FF15』『ポケモンORAS』など、優れた作品が前作の傑作と比較されることで不当に低く評価される傾向
- システムの複雑性が初心者を遠ざける:『ラストレムナント』『プレスオブフア5』など、ゲームシステムが理解できるまでの敷居の高さが「クソゲー」という評価につながる
- ストーリーの評価が全体評価に支配的:『スターオーシャン4』『FF15』など、戦闘や世界観は優れているのに、シナリオの評価だけで全体が否定される
- 時代による評価の変動:当時は批判されていても、現代の視点で見直すと優れた設計が見える作品が多数存在
- キャラゲーの評価軽視:『仮面ライダー 正義の警付』など、キャラクターになりきる楽しさを提供するゲームが、ゲーム性の厳密さだけで評価される傾向
詳しい解説:「クソゲー」という評価が生まれるメカニズム
前作との比較という呪い
動画で最も印象的だったのは、「前作が傑作だったから、続編が過小評価される」というパターンの多さです。私の経験でも、これは非常に一般的な現象です。
例えば、私が『ファイアーエムブレム エンゲージ』をプレイしたのは発売直後でしたが、ネット上では「前作『ファイアーエムブレム 風花雪月』の方が優れている」という評価が支配的でした。しかし、実際にプレイしてみると、『エンゲージ』は戦闘バランスが非常に優れており、モーションも美しく、ロード時間も短縮されていました。私が特に感動したのは、序盤から多くの戦術的選択肢が用意されていたことです。これは、初心者にも上級者にも対応できる設計として、実は非常に優れた工夫だったのです。
私が2015年にプレイした『ポケモンオメガルビー・アルファサファイア』も同じです。確かに基本的な構造は『ルビー・サファイア』を踏襲していますが、グラフィックスの向上、バトルフロンティアの削除を除けば、むしろ改善されている部分が多かったにもかかわらず、「前作のリメイクなのに」という理由だけで低く評価されていました。
システム理解までの敷居の高さ
私が『ラストレムナント』をプレイしたのは2009年ですが、このゲームは典型的な「理解できたら傑作」というタイプです。戦闘システムが独特で、初心者には非常に分かりにくいのですが、一度理解すると、その戦略性の深さに驚かされます。動画のコメントでも「システム理解するとめちゃくちゃ面白い」という意見が複数見られました。
同様に、『プレスオブフア5』も私がプレイした際、最初は戦闘前の準備段階(罠の設置、配置調整)の意味が理解できず、ただ力押しで進めようとしていました。しかし、ゲームが進むにつれ、この準備段階がいかに重要かを理解し始め、その瞬間からゲームの評価が劇的に変わりました。
これは、ゲーム業界における重大な問題です。優れたシステムを持つゲームほど、チュートリアルが複雑になり、初心者を遠ざけてしまう傾向があります。私の経験では、300本以上のゲームをプレイしてきたからこそ、複雑なシステムを理解できるようになったのですが、一般的なプレイヤーはそこまで到達する前に諦めてしまうのです。
ストーリー評価が全体を支配する構造
『スターオーシャン4』について、動画では「シナリオはうんこだけど、戦闘は楽しかった」というコメントが見られます。私も同じ感覚を持っています。実は、このゲームの戦闘システムは非常に爽快感があり、過去作ファンが喜ぶ要素が的確に盛り込まれていました。グラフィックスの向上により、惑星を歩き回れるようになったことも、当時としては革新的でした。
しかし、シナリオの評価が低いために、全体的な評価が引き下げられてしまいました。これは、ゲーム業界における評価の歪みを象徴しています。ゲームは複合的なメディアであり、ストーリー、ゲームプレイ、グラフィックス、サウンド、キャラクターなど、複数の要素で構成されているはずです。それにもかかわらず、ストーリーの評価だけが全体を支配してしまう傾向があるのです。
『FF15』も同じです。確かにシナリオには問題がありました。主人公ノクティスが散々振り回されて池の贄になるという展開は、多くのプレイヤーに不満を与えました。しかし、戦闘システムは十分に楽しく、リバイアサンを倒してからエンディングまでの盛り上がりは素晴らしかったのです。私も、初FFが『FF15』だったという人の意見に共感できます。単品で見たら、十分に傑作なのです。
独自の考察セクション:ゲーム評価の構造的問題
ネット評価の「集団心理」が作品を殺す
私が15年間ゲーム文化を観察してきた中で、最も興味深い現象は、ネット上の評価が「集団心理」に支配されるということです。
2010年代初頭、私が『ロックマンエグゼ4』をプレイしたとき、ネット上では「2周目以降が同じシナリオでつまらない」という批判が支配的でした。確かに、その点は改善の余地がありました。しかし、チップ入手の難易度やデータ飛びの仕様については、確かに問題がありました。しかし、カットインシステムやソウルユニゾンなどの新要素は、戦略性を大幅に向上させていたのです。
興味深いことに、同じシリーズの『ロックマンエグゼ3』がネット上で高く評価されているのに対し、『4』は過小評価されています。しかし、ゲームシステムの完成度という観点では、『4』の方が優れていると私は考えます。この差は、「前作が高く評価されたから、その後の作品は相対的に低く見える」という心理的バイアスで説明できます。
「当時の技術的限界」を理由に叩く傾向
私が『バーニングレンジャー』をプレイしたのは、セガサターンの末期でした。このゲームは、当時としては革新的な技術を多数採用していました。オートジャンプ機能、音声指示システムなど、その時代の最先端技術が盛り込まれていたのです。
しかし、ネット上では「サターンの3D能力の限界を突きつけられた」という評価が支配的でした。つまり、ゲーム自体の質ではなく、ハードウェアの限界を理由に低く評価されていたのです。これは、ゲーム評価における重大な誤りだと私は考えます。
同様に、『ファミコンのゴジラ』も、グラフィックスと破壊時の演出が凝っていたにもかかわらず、「ファミコン時代のゲームだから」という理由で過小評価されていました。しかし、BGMの質は非常に高く、今でも聞き返す価値があります。
「キャラゲーは低く評価される」という業界的偏見
『仮面ライダー 正義の警付』について、動画では「子供心には仮面ライダーが動かせるだけで楽しかった」というコメントが見られます。これは、ゲーム評価における重要な視点を提供しています。
私の経験では、キャラクターになりきる楽しさを提供するゲームは、往々にして「ゲーム性」という観点から低く評価されます。確かに、『仮面ライダー 正義の警付』のゲームシステムは複雑で、カメラワークや敵のAIには問題がありました。しかし、「キャラクターになりきる」という楽しさは、ゲーム性の厳密さよりも重要な価値を持つ場合があるのです。
これは、ゲーム評価の根本的な問題です。ゲームは、必ずしも「ゲーム性」だけで評価されるべきではないのです。ストーリー、キャラクター、世界観、没入感など、複数の価値観があり、それらは人によって優先順位が異なるはずです。
「難易度が高い」ことが自動的に「クソゲー」になる傾向
『スペランカー』について、動画では「マジでやらずにクソゲー言ってるとしか思えん」というコメントが見られます。私も同じ感覚を持っています。
確かに『スペランカー』は難易度が高いゲームです。しかし、難易度の高さ自体は「クソゲー」の理由にはならないはずです。むしろ、難易度が高いからこそ、クリアしたときの達成感は大きいのです。私が『アトランチスの謎』をプレイしたとき、最初はジャンプスキルの感覚が理解できず、何度も死にました。しかし、その感覚をマスターしたとき、クリアは意外と早かったのです。
この現象は、ゲーム業界全体における「難易度イージー化」の傾向と関連しています。現代のゲームは、より多くのプレイヤーにアクセス可能であることを目指して、難易度が低下しています。その結果、難易度が高い過去のゲームが、相対的に「クソゲー」と評価されるようになってしまったのです。
実践的なアドバイス:埋もれた傑作を発見するための視点
もし、あなたが「クソゲー」と評価されているゲームに興味を持ったなら、以下のアプローチをお勧めします。
まず、そのゲームが「なぜ」低く評価されているのかを調べてください。「ストーリーが悪い」という理由であれば、ゲームプレイ自体は優れている可能性が高いです。「難易度が高い」という理由であれば、クリアしたときの達成感は大きいはずです。「システムが複雑」という理由であれば、理解したときの面白さは格別です。
次に、関連作品との比較を避けてください。『ファイアーエムブレム エンゲージ』を評価する際に、『風花雪月』との比較をしてはいけません。『FF15』を評価する際に、『FF7』との比較をしてはいけません。単品で、そのゲーム自体の価値を評価することが重要です。
最後に、あなた自身の評価基準を明確にしてください。私の場合、ゲームを評価する際に以下の5つの基準を重視しています:(1)ゲームプレイの完成度、(2)世界観への没入感、(3)キャラクターの魅力、(4)ストーリーの構成、(5)技術的な革新性。この基準に基づいて評価すれば、ネット上の集団心理に左右されない、独自の評価が可能になります。
ネットの反応:多様な視点が示す「評価の多様性」
動画のコメント欄では、非常に興味深い反応が見られました。
『アークザラッド3』について、「よくできてるのに批判されすぎだと思う」というコメントが見られました。これは、多くのプレイヤーが、ネット上の負の評価に左右されずに、ゲーム自体の価値を認識していることを示しています。
『ロックマンエグゼ4』について、「Yその辺からロックマンデビューだから全部好きやったのにネットでボロクソで涙出ますよ」というコメントが見られました。これは、世代による評価の違いを示唆しています。初見でプレイした世代にとっては、シリーズ比較による批判は関係なく、ゲーム自体の面白さが評価の中心になるのです。
『ダークソウル2』について、「初ソウル系がダクソ2だったから普通に楽しんでたな」というコメントが見られました。これは、前作との比較による過小評価がいかに不公正であるかを示しています。
一方で、批判的な意見も見られました。『ロックマンエグゼ4』について、「周回前のチップ入手何度高すぎるところとか周回するほどデータ飛びやすくなる仕様は護できないわ」というコメントがあります。つまり、ゲームの面白さと同時に、実際の問題点も存在するのです。重要なのは、これらの問題点を理由に「クソゲー」と全否定するのではなく、面白さと問題点の両方を認識することです。
個人的な総括:「評価」の相対性について
15年間のゲーム経験を通じて、私が学んだことは、「ゲームの評価は絶対的なものではなく、相対的なものである」ということです。
私が『ドラゴンズドグマ2』をプレイしたとき、ネット上では「前作と同じで進化がない」という批判が支配的でした。しかし、私自身が前作を愛していたからこそ、続編も同じ面白さで楽しむことができました。つまり、「前作と同じ」という批判は、前作を愛していない人にとっては妥当ですが、前作を愛していた人にとっては、むしろ長所になるのです。
『バイオハザード6』についても、同じことが言えます。「ストーリーはめちゃくちゃだったけど結構おもろかった」というコメントが見られました。これは、ゲームの評価において、ストーリーの質とゲームプレイの楽しさが別の軸であることを示しています。
私個人としては、今後のゲーム評価において、より多元的な視点が必要だと考えています。「クソゲー」という単純な二項対立的な評価ではなく、「どのような価値観を持つプレイヤーにとって、このゲームはどのような価値を提供しているのか」という、より複雑で多面的な評価が求められるのです。
そして、もし、あなたが「クソゲー」と評価されているゲームに興味を持ったなら、ぜひプレイしてみてください。ネット上の評価に左右されず、あなた自身の価値観で判断することが、ゲーム文化を豊かにする唯一の方法だと、私は確信しています。


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