先日、エイベックス会長・松浦勝人氏がnoteに投稿した「僕には友達がいない」を読んだ。投稿からわずか1日で6万人以上に読まれ、Togetterでもまとめられた。数字だけ見ても、ただごとではない反響だ。
正直なところ、最初は流し読みするつもりだった。「経営者の孤独話ね」くらいの軽い気持ちだった。派手な主張はない。感情を煽る書き方でもない。長くその立場にいた人間が、経験を通して辿り着いた結論を、ただ淡々と並べているだけだ。なのに、読み進めるうちに手が止まった。何度も。今日は、このnoteと、それを取り巻く反響を読んで感じたことを、私見としてまとめておきたい。
「利害」が関係を変える、という身も蓋もない話
記事の核はシンプルだ。人間関係を壊すのは性格でも喧嘩でもなく、利害だという結論。うまくいき始めると人が寄ってくるのは自然現象で、止めようがない。その中で本物を見分けられないと確実に壊される――という前提から、40年近く人を見続けてきた結果としての「見分け方」が語られていく。
個人的に一番刺さったのは、冒頭のエピソードだ。学生時代の友人が会社に入った途端、対等だった関係が変わってしまった話。肩を組んでつるんでいた仲間が、いつしか自分の顔色を気にするようになる。上下関係ができてしまったら、もう昔には戻れない。この一文には、かなりの重みがあった。
実は、これを読んで自分の経験を思い出した。ここだけの話、当時はそれが普通だと思っていたが、今振り返ると恥ずかしい話でもある。
2020年ごろ、2,200万円くらいの不動産を購入した。購入前は、担当の営業さんからとにかく連絡が多かった。物件の空き状況、金利の動き、他の投資家の動向。ほとんど毎週、何かしらの理由をつけて電話やメールが来ていた。正直、少し鬱陶しいと感じることもあったくらいだ。でも、それだけこちらを気にかけてくれているのだと思っていた。
ところが、購入した瞬間、その連絡がパッタリと止んだ。一件も、来なくなった。こちらから管理状況を聞かない限り、向こうから連絡が来ることはなくなった。契約書にハンコを押す前と後で、扱いがまるきり別人だった。
松浦さんの言う「何を褒めているか」「距離を詰めるスピード」を、当時の僕はまったく気にしていなかった。今なら分かる。あの営業さんが見ていたのは、僕自身ではなく、契約という数字だったのだと。あなたの周りにも、契約や取引が終わった瞬間に、急に連絡が途絶えた人はいないだろうか。
「何を褒めるか」「距離を詰める速さ」という具体的な物差し
記事の中盤は、寄ってくる人間をどう見分けるかという実践的な話になる。何を褒めてくるか。自分自身なのか、それとも持ち物や地位なのか。距離を詰めるスピードが異常に速くないか。何かを断った時、どんな反応が返ってくるか。どれも観察できる目印として書かれている。だからこそ、これだけ多くの経営者や投資家に刺さったのだろう。
「あなたと付き合っていたんじゃない、あなたのイエスと付き合っていたのだ」という一文がある。この言葉は、立場や規模を問わず、誰しも思い当たる節があるはずだ。断った瞬間に不機嫌になる人。急に距離を置く人。逆に、きちんと「ノー」と言ってくれる人こそ、大事にすべきだという話は、ただの処世術ではない。
「断れる関係」と「断れない関係」――誘えない、という孤独
個人的に最も心に残ったのは、見分け方の話が一段落したあとの、自分自身の孤独についての告白パートだ。社員を食事に誘えない。誘えばそいつは絶対に断れないから。断れない「イエス」には何の意味もない、と書かれている。仕事抜きで気軽に誘える相手がいない夜がある、とも。
この部分を読んで、少し考え込んでしまった。立場が上がれば上がるほど、断れない人が増えていく。経営者に限った話ではない。上司になったとき、先輩になったとき、多少なりとも影響力を持ったとき。周りの「イエス」は、少しずつ軽くなっていく。逆に言えば、自分に「ノー」と言える人が周りに何人いるか。それがひとつの目安になるのかもしれない。うまくいっているときほどイエスマンは増える。その中で「それは違うと思いますよ」と口に出せる人は、地位ではなく自分自身と向き合ってくれている証拠だ。断れない相手を集めて騒いでも、それは友達がいることにはならない。裸の王様にはなりたくない、という一言に、この人の誠実さのようなものを感じた。
悪い時に残った人間が、本物だ
「いい時に来た人間より、悪い時に残った人間」という見分け方も、シンプルで実践的だ。調子の良い時に周りの名前をリストにしておき、落ちた時にそのリストと照らし合わせる。残った1割が本物だ、と。
実際にやってみると、これは想像以上に効く。僕自身、不動産投資の年間収支が赤字に転落した2024年、連絡が減った人が何人かいた。逆に、変わらず「最近どうですか」と聞いてくれた人もいた。数えてみたら、片手で足りるくらいだった。少ない。でも、その少なさこそが答えなのだと、今は思う。
反響を見て感じたこと
Togetterのまとめを読むと、反応の多くが「規模は違うけれど、まったく同じことを経験した」という共感の声だった。事業に失敗して無一文になった経験を語る人。経営を長く続けてきた人としての実感を語る人。開高健の言葉を引いて格上げして受け止める人もいた。受け止め方は様々でも、根底にあるのは「これは自分の話でもある」という感覚だと思う。
面白いのは、批判的なコメントがほとんど見当たらないことだ。普通、これだけバズった投稿には、斜に構えた反応や、成功者の自慢話だと切り捨てる声が一定数出てくる。今回はそれがほぼない。会社で少しだけ立場が上がったとき、周囲の態度が微妙に変わった経験がある人は、意外と多いのではないだろうか。
この文章が残したもの
松浦さんは最後にこう結んでいる。人を見分けながら生きるのは正直寂しい。でもそれは今の自分の立場との引き換えだ。それぐらいなら、寂しくてもいい――と。この結論に、僕は静かに頷いた。綺麗にまとめようとせず、寂しさを寂しさのまま置いているところがいい。全員に好かれる必要はない。数人の本物がいれば十分だ、という締めくくりも、強がりではなく、経験から出た言葉だと感じた。
同時に、一番怖いのは寄ってくる人間ではなく、「おだてられているうちに感覚がずれていく自分」だ、という指摘も忘れられない。人を見分ける目と同じくらい、鏡を見る目がいる。この言葉は、立場を問わず重い。
おわりに
『僕には友達がいない』は、成功者の自慢話でも、孤独を美化する話でもない。長くその立場にいた人間が、身銭を切って学んできた、かなり実践的な人間観察の記録だ。読んでいて感じたのは、関係が変わっていく瞬間への冷静な視線と、それでも本物の関係を大事にしたいという、静かな熱だった。
利害が生まれると、関係は簡単には戻らない。だからこそ、利害の薄い場所を意識的に残しておくこと。断れる関係を大切にすること。悪い時に残る人の顔を忘れないこと。それが結果的に自分を守るのだと、静かに思った。あの購入から、もう5年以上が経つ。今なら、もう少し違う見分け方ができる気がする。
まだ読んでいない方は、ぜひ一度、元のnoteを読んでみてほしい。「僕には友達がいない」(松浦勝人氏note)

