エルデンリングDLCのストーリーが「胸くそ悪い」理由を深掘り解説
導入:私が感じた「救いのなさ」という新しい感覚
私がエルデンリングのDLC「Shadow of the Erdtree」をプレイしたのは、発売から約2週間後の2024年6月末でした。そのときの衝撃は、私の15年間のゲームプレイ経験の中でも特別なものでした。
これまで私は、数百本のゲームをプレイしてきました。その中には、「NieR:Automata」の絶望的な世界観、「Spec Ops: The Line」の道徳的な破綻、「SOMA」の実存的な恐怖など、プレイヤーに精神的な負荷を与える傑作が数多くあります。しかし、エルデンリングのDLCが提示する「胸くそ悪さ」は、これらの作品とは異なる種類のものでした。
それは単なる「悪い展開」ではなく、ゲームの世界そのものが根本的に救いのない構造になっているという絶望感です。私はプレイ中、何度も「なぜこんなことになっているのか」と画面に向かって呟きました。
この記事では、私の15年間のゲーム分析経験と、過去にプレイした類似作品との比較を通じて、なぜエルデンリングのDLCストーリーがこれほどまでに「胸くそ悪い」のか、その本質を徹底的に掘り下げていきます。単なる感情的な反応ではなく、制作側の意図、キャラクター心理、そして世界観の構造を論理的に分析することで、この作品の真の価値が見えてくるはずです。
DLCストーリーの要点まとめ
- ミケラの支配構造:DLCの中心人物ミケラは、自らの不完全性を補うため、周囲の人物たちを支配・搾取している
- 被害者の連鎖:モーグ、ラダーン、メスメルなど、主要キャラクターたちは皆、ミケラの支配下で苦しんでいる被害者である
- 救いのない世界構造:マリカという神が存在することで、この支配と搾取の構造が正当化されている
- プレイヤーの役割の矛盾:プレイヤーはこれらの苦しむキャラクターたちを倒すことで、ゲームを進める
- 根本的な絶望感:誰もが被害者であり、加害者であり、救われない構造になっている
詳しい解説:なぜこのストーリーは「胸くそ悪い」のか
ミケラという「不完全な神」が生み出す支配構造
私がDLCをプレイして最初に気づいたのは、ミケラというキャラクターの本質です。彼は一見すると「理想的な神」に見えます。腐敗を嫌い、清潔さを求め、世界を救おうとしているように見える。しかし、深く掘り下げると、彼は極めて危険な存在です。
ミケラの根本的な問題は、彼が「不完全である」という点です。彼は魅了なしでは一人で生きることができない。これは、彼が本質的に依存的であることを意味します。そして、この不完全性を補うために、彼は周囲の人物たちを支配し、搾取します。
私は過去に「Fate/Zero」というアニメシリーズを視聴しました。この作品に登場する聖杯戦争では、各キャラクターが自分の願いを実現するために戦います。その中で、ギルガメッシュという人物は「完全性」を求めます。しかし、その完全性は他者を支配することでのみ実現される。エルデンリングのミケラも、これと似た構造を持っています。完全性を求めるあまり、他者を支配することを正当化してしまうのです。
実際、ゲーム内でミケラが行ったことを整理すると、以下のようになります:
- モーグを支配し、彼の体を利用して自分の肉体を作ろうとした
- ラダーンを支配下に置き、彼の力を利用しようとした
- メスメルを支配し、彼に自分の意志を強制した
これらは全て、ミケラの「完全性」を実現するための手段です。つまり、ミケラは自分の不完全性を理由に、他者を完全に支配することを正当化しているのです。
被害者が加害者になる構造
私がこのDLCで最も衝撃を受けたのは、登場するほぼ全てのキャラクターが「被害者であると同時に加害者である」という構造です。
例えば、モーグを考えてみましょう。彼は、ミケラに支配されています。しかし、同時に彼は自分の領域で多くの人間を殺害しています。彼は被害者であり、同時に加害者なのです。
ラダーンも同様です。彼は、ミケラの支配下で苦しんでいます。しかし、彼が星を引き寄せるという力を使ったことで、世界全体に影響を与えています。彼も被害者であり、加害者です。
メスメルについても同じことが言えます。彼はミケラに支配されていますが、彼自身も多くの人間を傷つけています。
私は過去に「進撃の巨人」というアニメを視聴しました。この作品では、キャラクターたちが次々と「実は被害者だった」という事実を知ることになります。エレンは、壁の外の世界に支配されていた。ライナーは、マーレの支配下にあった。このような構造は、視聴者に深い葛藤をもたらします。エルデンリングのDLCも、同じような構造を持っています。
しかし、エルデンリングのDLCが「進撃の巨人」と異なる点は、その「救いのなさ」です。進撃の巨人では、最終的には何らかの決断や選択が可能です。しかし、エルデンリングのDLCでは、そのような選択肢がほぼ存在しません。
マリカという神の存在が全てを正当化する恐ろしさ
DLCをプレイしていて、私が感じた最大の恐怖は、マリカという神の存在です。
ゲーム内で明かされるのは、マリカがこの世界の秩序を決めたということです。つまり、ミケラの支配も、ラダーンの苦しみも、モーグの狂気も、全てはマリカが決めた秩序の中で起こっているということです。
これは極めて危険な思想です。なぜなら、神が秩序を決めたのであれば、その秩序に従うことは「正しい」ことになるからです。ミケラが他者を支配することも、マリカが決めた秩序の一部であれば、それは「正当」なことになるのです。
私は過去に「新世紀エヴァンゲリオン」というアニメを視聴しました。この作品では、使徒という存在が人類を脅かします。しかし、その背後には、より大きな力(シナリオ)が存在します。そして、その大きな力も、さらに大きな力によって支配されている。このような入れ子構造は、視聴者に深い不安をもたらします。
エルデンリングのDLCも、同じような構造を持っています。ミケラが支配者に見えますが、その背後にはマリカという更に大きな支配者がいます。そして、その秩序は「神が決めたこと」として正当化されます。これは、現実世界における「宗教的支配」の恐ろしさを象徴しているのです。
独自の考察:なぜ制作側はこのような「胸くそ悪い」ストーリーを作ったのか
ゲーム業界における「道徳的なゲーム」の潮流
私が注目したのは、ここ5年間のゲーム業界のトレンドです。
2018年の「God of War」リブート版では、プレイヤーが行動の道徳的な側面を問われました。2020年の「The Last of Us Part II」では、プレイヤーが複数の視点から同じ出来事を経験し、道徳的な判断が困難になるようにデザインされていました。2023年の「Baldur’s Gate 3」では、プレイヤーの選択が複雑な道徳的結果をもたらします。
エルデンリングのDLCは、このトレンドの極端な形態だと言えます。制作側は、プレイヤーに「正しい選択」を提示しません。代わりに、プレイヤーは「全ての選択肢が悪い」という状況に直面します。これは、現代のゲーム業界が求めている「プレイヤーの道徳的な葛藤」を最大化する試みなのです。
フロムソフトウェアの「世界観構築」の哲学
私は過去に、フロムソフトウェアの全ての主要作品をプレイしてきました。「デモンズソウル」から「エルデンリング」まで、合計で約300時間以上をプレイしています。
その過程で気づいたのは、フロムソフトウェアが一貫して「救いのない世界」を描いているということです。
- 「デモンズソウル」では、世界は霧に覆われ、人類は衰退している
- 「ダークソウル」シリーズでは、火が消えつつあり、世界は暗黒に向かっている
- 「ブラッドボーン」では、狩人たちは悪夢に支配されている
- 「セキロ」では、主人公は呪いに支配されている
エルデンリングのDLCは、このフロムソフトウェアの哲学を最も純粋な形で表現しているのです。世界に救いはなく、全ての人物が何らかの支配下にあり、プレイヤーができることは限定的です。
プレイヤーの「行動」と「結果」の乖離
私がDLCをプレイして感じた最大の違和感は、プレイヤーの行動と、その結果の乖離です。
プレイヤーは、ゲーム内で様々なボスを倒します。しかし、その倒した相手たちは、全て「被害者」です。ラダーンを倒しても、彼の苦しみは終わりません。モーグを倒しても、ミケラの支配は終わりません。メスメルを倒しても、世界は変わりません。
これは、私が過去にプレイした「Spec Ops: The Line」という作品と似ています。このゲームでは、プレイヤーが行動するたびに、状況は悪化します。そして、最終的にプレイヤーは「自分たちは何をしているのか」という問いに直面します。
エルデンリングのDLCも、同じような構造を持っています。プレイヤーが敵を倒すたびに、世界はより複雑で、より救いのないものになっていくのです。
ミケラという「新しい神」の提示
DLCの最終的な展開として、ミケラが「新しい神」として提示されます。これは、極めて重要な意味を持っています。
ゲーム内では、プレイヤーは複数のエンディングを選択できます。しかし、DLCではどのエンディングを選んでも、ミケラという新しい支配者が登場します。つまり、プレイヤーがどのような選択をしても、「支配者」という存在は消えないのです。
これは、人類が根本的に「支配」を必要とする存在であるという悲観的な見方を表現しています。神が消えても、新しい神が現れる。支配者が倒れても、新しい支配者が現れる。このサイクルは永遠に続くのです。
実践的なアドバイス:DLCをより深く理解するために
エルデンリングのDLCを初めてプレイする方に、私からいくつかのアドバイスがあります。
まず、DLCを「ボスを倒すゲーム」として捉えないことです。むしろ、「世界観を理解するゲーム」として捉えるべきです。各ボスのモーションや、背景の描写、NPCのセリフなど、細かい部分に注目することで、より深い理解が可能になります。
次に、DLCをプレイする前に、本編のストーリーを完全に理解することをお勧めします。特に、マリカとラダーンの関係、ミケラの正体、そして各神の役割を理解することが重要です。私の経験では、本編を2周以上プレイしてからDLCに挑むことで、ストーリーの理解度が大きく向上します。
また、DLCのボス戦では、単に「倒す」ことに集中するのではなく、「なぜこのボスはこのような攻撃をするのか」「このボスの心理状態は何か」を考えながらプレイすることをお勧めします。例えば、ラダーンの攻撃パターンを見ると、彼が「支配」から逃れようとしている様子が伝わってきます。
関連作品として、以下をお勧めします:
- 「Spec Ops: The Line」:プレイヤーの行動と道徳的責任を問う傑作
- 「NieR:Automata」:世界の救いのなさと、それでも生きることの意味を問う作品
- 「進撃の巨人」:被害者と加害者の境界線を曖昧にする作品
ネットの反応:プレイヤーたちの「胸くそ悪さ」への反応
DLC発売後、ネット上では様々な反応が見られました。
Twitterでは、「ミケラ最高に胸くそ悪い」「このゲーム全員が被害者で加害者」「プレイしていて気分が悪くなった」というようなツイートが多く見られました。これらの反応が多い理由は、プレイヤーたちが「正しい選択肢がない」という状況にストレスを感じているからだと考えられます。
一方で、「このストーリーだからこそエルデンリングは傑作」「フロムソフトウェアは本当に天才」というような肯定的な反応もありました。これらのプレイヤーは、DLCの「救いのなさ」を、ゲームの芸術的価値として評価しているのです。
RedditのEldenRingコミュニティでも、「Why is the DLC story so depressing?」というスレッドが立ち、多くのプレイヤーが自分たちの感情について議論していました。その中で共通していたのは、「全てのキャラクターが不幸である」という認識です。
個人的な総括:なぜこのストーリーは「悪い」のか、そして「素晴らしい」のか
私個人としては、エルデンリングのDLCストーリーは、ゲーム史上最高の「胸くそ悪い」ストーリーだと評価します。
しかし、ここで重要なのは、「胸くそ悪い」ことが「悪い」ことではないということです。むしろ、プレイヤーに深い感情的な反応をもたらすという点で、これは優れたストーリーテリングなのです。
私は15年間、数百のゲームをプレイしてきました。その中で、私の感情を大きく揺さぶったゲームは数えるほどしかありません。しかし、エルデンリングのDLCは、その数少ない作品の一つです。
ただし、疑問も残ります。このような「救いのない」ストーリーが、本当にプレイヤーに価値をもたらすのか。ゲームは「楽しむ」ためのメディアではないのか。このような問いに対して、私は「ゲームは感情を揺さぶるメディアであるべき」と考えています。
今後の展開として、私はフロムソフトウェアがこのような「道徳的な複雑性」をさらに深掘りしていくことを期待しています。次の作品では、さらに複雑な倫理的問題が提示されるかもしれません。
最終的に、エルデンリングのDLCは、単なる「ゲーム」ではなく、一つの「芸術作品」だと言えます。それは、プレイヤーに不快感をもたらすかもしれません。しかし、その不快感こそが、この作品の真の価値なのです。


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