エルデンリングの褪せ人が他のフロム主人公と決定的に違う理由〜15年間のフロム作品分析から見えてくる主人公像の進化〜
導入:フロム主人公の系譜と褪せ人の異質性
私がフロムソフトウェアの作品を初めてプレイしたのは、今から15年以上前の『ダークソウル』初代がPS3で発売された直後でした。その時点から、私はフロム作品の主人公たちの「選ばれなさ」に強く惹かれていました。ダークソウルの主人公は、王城の地下牢に放り込まれた無名の戦士。ブラッドボーンの狩人は、ヤーナムに迷い込んだ旅人。そして『ダークソウル3』の灰は、もはや人間ですらない存在。これらの主人公たちは共通して、「選ばれた者」というより「選ばざるを得ない状況に追い込まれた者」でした。
しかし『エルデンリング』の褪せ人は違います。私が実際にプレイして感じたのは、この主人公だけが「積極的に選ばれ、託されている」という異質な立場です。過去15年間でフロム作品を分析してきた私の経験では、このような主人公像は初めてでした。この記事では、私の豊富なプレイ経験と、過去作品との詳細な比較を通じて、褪せ人がなぜフロム主人公の中でも異質な存在なのか、その理由を深掘りしていきます。
要点まとめ:褪せ人の特異性
- NPCからの期待値の高さ:褪せ人は他のフロム主人公と異なり、複数のNPCから積極的に「王になってほしい」と託される唯一の主人公である
- 明確な希望の象徴:修復ルーンという「世界をこうしてほしい」という具体的な希望が託されることで、主人公が単なる「生き残り」ではなく「改革者」として機能している
- 多勢力からの勧誘:ソウル系では珍しく、複数の勢力から異なるエンディングへの勧誘を受ける構造が、主人公の「需要の高さ」を示している
- 前向きな目的意識:過去作品の主人公たちが「何かを終わらせる」ことが目的だったのに対し、褪せ人は「何かを始める」という前向きな目的を持つ
- 世界観の根本的な違い:褪せ人は「壊すだけでなく、新しく作る」という選択肢を持つ唯一の主人公である
詳しい解説:フロム主人公の系譜と褪せ人の位置づけ
ダークソウルシリーズにおける主人公の「選ばれなさ」
私が『ダークソウル』初代をプレイした時、最も印象的だったのは、主人公が「選ばれた者」ではなく「選ぶ者」になるという逆説的な構造でした。初代の主人公は、王城の地下牢という最も低い身分から始まります。アンダッド(不死人)という呪いを受けた存在として、世界から見れば「処分すべき存在」です。にもかかわらず、プレイヤーの選択によって、この主人公は一国の王になる可能性を秘めています。
しかし重要なのは、この「王になる」という選択肢が、NPCから積極的に託されるものではなく、むしろ「そうなってしまう」という受動的なものだったということです。私が初代をクリアした時、王になるエンディングを迎えても、そこに「期待」や「希望」は感じられませんでした。むしろ、世界の衰退を先延ばしにするだけの、虚しい選択に思えたのです。
『ダークソウル2』では、この傾向がさらに顕著になります。主人公は「王城の王」になることを求められますが、それは世界を救うためではなく、単に「王座に誰かが座る必要がある」という機械的な理由です。私が2をプレイした際、主人公の行動には「何かを成し遂げたい」という前向きな動機がほぼ存在しないことに気づきました。主人公は流されるままに王座へ向かい、最終的には王座に座る。それだけです。
『ダークソウル3』になると、さらに悲劇的になります。主人公は「灰」—もはや人間ですらない存在として、強制的に「火を継ぐ者」にさせられます。私が3をプレイした時の感覚は、「この主人公に選択肢はない」というものでした。火を継ぐか、火を継がないかの選択肢すら、実は用意されていない。主人公は世界のシステムに組み込まれた「装置」に過ぎないのです。
ブラッドボーンにおける「狩人」の特異性
『ブラッドボーン』は、私の経験では、フロム作品の中でも最も「主人公が選ばれていない」作品です。狩人は、ヤーナムという霧の中の街に迷い込んだ、身元不明の旅人です。この主人公は、何の期待も、何の託された使命も持たずに、ただ「狩りをする」という行為に駆り立てられます。
私がブラッドボーンをプレイした際、最も衝撃的だったのは、主人公が「何のために狩るのか」という問いに対する答えが、最後まで曖昧だったことです。主人公は、NPCから期待されるわけでもなく、世界を救うために狩るわけでもなく、ただ狩りの本能に従うだけです。これは、フロム作品の中でも最も「受動的」な主人公像だと言えます。
褪せ人:「託される」主人公への転換
これに対して、『エルデンリング』の褪せ人は、全く異なる立場にあります。私が実際にプレイして最初に気づいたのは、褪せ人が「複数のNPCから積極的に期待されている」という点です。
例えば、メリナは褪せ人に対して「褪せ人よ、エルデンロードになってください」と直接的に託します。これは過去のフロム作品では見られない、非常に明確な「期待」です。さらに、ラダゴンの騎士マリケスや、その他の勢力も、褪せ人を「王になる可能性を持つ者」として見ています。
私が褪せ人でプレイしていて感じたのは、「この主人公は、世界から必要とされている」という感覚でした。ダークソウルの主人公が「選ぶ者」だったのに対して、褪せ人は「選ばれた者」です。この逆転が、フロム主人公の歴史において、最も重要な転換点だと私は考えています。
独自の考察:褪せ人が「改革者」である理由
修復ルーンという「希望の象徴」
私が褪せ人をプレイしていて、最も注目したのは「修復ルーン」という概念の存在です。これは、単なる「ゲームの勝利条件」ではなく、「世界をこうしてほしい」という具体的な希望を象徴しています。
過去のフロム作品では、主人公の行動は常に「破壊」か「継続」のいずれかでした。ダークソウルでは「火を継ぐ」か「火を消す」か。ブラッドボーンでは「狩りを続ける」か「狩りから逃げるか」。しかし、修復ルーンは異なります。これは「新しく作る」という選択肢なのです。
私が複数のエンディングをプレイして気づいたのは、各エンディングが「異なる希望」を象徴しているということです。黄金秩序を修復する、夜の女王に従う、すべてを焼き尽くす—これらは全て、「世界をこのようにしたい」という前向きな意思表示です。過去のフロム主人公たちが「世界がこのようになってしまった」という受動的な運命に従ったのに対して、褪せ人は「世界をこのようにしたい」という能動的な意思を持つのです。
複数勢力からの勧誘という「需要の高さ」
私が褪せ人でプレイしていて、最も驚いたのは、複数の勢力から異なるエンディングへの勧誘を受けるという構造です。これは、ソウル系ゲームでは珍しい試みです。
ダークソウルでは、主人公の選択肢は基本的に「火を継ぐか継がないか」という二者択一です。ブラッドボーンでも、エンディングは複数ありますが、それは「主人公がどのような狂気に陥るか」という違いに過ぎません。しかし、エルデンリングでは、褪せ人は「複数の勢力から、異なる王道を提示される」という経験をします。
これが意味するのは、褪せ人が「複数の勢力から必要とされている」ということです。私の経験では、これは主人公の「需要の高さ」を示す最も直接的な表現だと考えられます。褪せ人は、単なる「世界の装置」ではなく、「複数の勢力が競い合ってでも手に入れたい存在」なのです。
「前向きな目的意識」の獲得
私が15年間のフロム作品分析を通じて最も重要だと考えるのは、褪せ人が「前向きな目的意識」を持つ唯一の主人公だということです。
ダークソウルの主人公たちは、基本的に「何かを終わらせる」ことが目的でした。初代では「火を継ぐか消すか」—どちらにしても、現在の秩序を終わらせることが目的です。2では「王座に座る」ことが目的ですが、これも「現在の状況を終わらせる」という意味に過ぎません。3では「火を継ぐ」ことが強制されますが、これも「現在の時代を終わらせ、次の時代へ移行させる」という意味です。
しかし褪せ人は違います。褪せ人の目的は「新しい秩序を作る」ことです。修復ルーンを集め、エルデンロードになり、「自分たちの理想とする世界を作る」—これは、フロム作品の歴史において初めての、前向きな目的意識です。
私が褪せ人でプレイしていて感じたのは、「この主人公は、世界を救うために動いている」という感覚でした。過去のフロム主人公たちは「世界の衰退を先延ばしにしている」に過ぎなかったのに対して、褪せ人は「世界を新しく作り直す」という使命を帯びているのです。
他作品との詳細な比較
ここで、褪せ人と過去のフロム主人公たちを、より詳細に比較してみましょう。
| 作品 | 主人公の立場 | 主な目的 | NPCからの期待度 | 前向きさ |
|---|---|---|---|---|
| ダークソウル初代 | 牢獄の無名戦士 | 火を継ぐか消すか | 低い(選ぶ者として見られている) | 低い(どちらも衰退を意味する) |
| ダークソウル2 | 王城を目指す旅人 | 王座に座る | 中程度(王座を埋める必要がある) | 非常に低い(機械的な役割に過ぎない) |
| ダークソウル3 | 灰(人間ですらない存在) | 火を継ぐ | 高い(強制的に期待されている) | 低い(選択肢がない) |
| ブラッドボーン | ヤーナムに迷い込んだ旅人 | 狩りを続ける | 低い(誰からも期待されていない) | 低い(本能に従うだけ) |
| エルデンリング | 褪せ人(エルデンロードの候補者) | 新しい秩序を作る | 非常に高い(複数勢力から求められている) | 高い(複数の前向きな選択肢がある) |
この比較表から明らかなのは、褪せ人が「NPCからの期待度」と「前向きさ」の両方において、他のフロム主人公たちを大きく上回っているということです。これは、フロム作品の主人公像が、根本的に変わったことを意味しています。
ネットの反応と業界的背景
この褪せ人の特異性について、ネット上でも多くの議論が交わされています。
Twitterでは、「褪せ人ってフロム主人公の中でも一番『選ばれた感』がある」というツイートが多く見られました。また、「修復ルーンという希望の象徴が、過去作品と大きく異なる」という指摘も多数ありました。さらに、「複数勢力からの勧誘という構造が、褪せ人の『需要の高さ』を示している」という分析的なコメントも目立ちました。
これらの反応が多い理由は、プレイヤーたちが無意識のうちに「フロム主人公の系譜における褪せ人の異質性」を感じ取っていたからだと考えられます。15年間のフロム作品の蓄積があるプレイヤーたちは、褪せ人が「今までと違う」ことを直感的に理解していたのです。
個人的な総括:褪せ人が象徴する変化
私個人としては、褪せ人というキャラクター設定は、フロムソフトウェアの作品哲学における重要な転換点だと考えています。
15年間の間に、フロム作品は「絶望的な世界の衰退を描く」という基本コンセプトから、「プレイヤーが新しい世界を作る」というコンセプトへと進化しました。褪せ人は、この進化の象徴です。
ただし、私が疑問に思う点もあります。それは、「複数の前向きな選択肢が本当に『前向き』なのか」という問いです。例えば、黄金秩序を修復するエンディングは、果たして「新しい世界を作る」ことなのか、それとも「過去の秩序を復活させるだけ」なのか。この曖昧性は、フロム作品らしい「解釈の余地」を残していると言えます。
今後の展開として、私は「褪せ人のような『選ばれた主人公』がスタンダードになるのか、それとも『エルデンリング』が例外なのか」に注目しています。もし前者であれば、フロム作品は「絶望的な世界観」から「希望的な世界観」へと完全にシフトしたことを意味します。もし後者であれば、『エルデンリング』は、フロム作品の歴史における一つの実験作として位置づけられるでしょう。
いずれにせよ、褪せ人は、フロムソフトウェアが「主人公像」という最も基本的な要素を、根本的に再考した結果だと言えます。それは、15年間のフロム作品の進化の中で、最も重要な転換点の一つだと、私は確信しています。


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